志津川水産ができた理由。

今さらながらですが、ちゃんとしたコンセプトを、ご説明させていただいてなかったので、ちょっと書いてみました。

読んでいただければ嬉しいです
m(_ _)m

志津川水産物語

H23.3.11
未曾有の大きな被害をもたらした「東日本大震災」

日本人の1人として「何か」しなければと、「新潟維心会」という、居酒屋の仲間たちと共に被災地、宮城県へ。

最初は、必要と思われる物資を届けに行きました。

そのとき目にした光景に、激しい衝撃を受け、また、現地の方たちの話を聞き、じっとしていられなく、また次の週、物資を持ち、
我々の職業の一番得意とするところの炊き出しの準備もして行きました。

その後、ほんの短期間に維心会全店で募った募金もたくさんあつまり、同時に、あらゆる方面の、すごく多くの人たちからの協力もいただき、僕たちの活動の大きな力になりました。

また、次の週、そのまた次の週とほぼ毎週のように宮城へ向かうことになりました。

そんな中、「南三陸町志津川」で「志津川タコ」に出会い、
志津川は、「西の明石、東の志津川」と称されるほど、タコの漁獲量が多いことを知りました。

そこで、「南三陸町飲食店組合会長」で「南三陸町復興タコの会会長」を務める高橋さんとの出会いがありました。

南三陸町の復興イメージキャラクターもタコということも知り、係わってきたみんなで、「何かの形で志津川タコをもっと知ってもらい、地域興しの一端を担えれば」
と、少し違う角度からの支援活動が始まりました。

「タコ飯コロッケ」、「タコちゃん麺」を開発し、
宮城現地、新潟、横浜などで様々なイベントに出店させていただき、
志津川のタコを知ってもらうと同時に、
売上金を寄付するという支援を続けていきました。(利益の一部とかではなく、売上全額。食材の仕入れなどはお客様よりお預かりした募金をつかわせていただきました。)

やがて、仮設住宅もたくさん建ち、僕たちが毎週のように足を運ばなくてもいいような状態に落ちついてきましたが、復興にはまだまだほど遠い状態には変わりありません。

今後の支援活動について多くの人たちのあたたかい気持ち、さまざまな思いのこもった助言をいただきながら、考えをめぐらせたとき、

「南三陸町の食材を新潟でもずっと使い続けることで、ほんの少しでも、むこうの漁業の人たちが安心できれば」
という思いと
「志津川タコをもっともっと知って欲しい」
との思いをかたちにしたい!と、

新潟ふるまち志津川水産一家部ができました。

東日本大震災の支援活動を続けていきたいという思いが「新潟古町志津川水産一家部」というかたちになりましたが、一方で、代表の品田は同時に「新潟大好き代表」と自負しておりますので、新潟活性化、古町活性化に少しでもお役に立ちたいという思いもあり、古町に出店させていただきました。

ほんとうに安全で美味しい志津川産の食材、
特に、地元のひとたちが勧める
「志津川タコ」「アワビ」「芽かぶ」が当店のおすすめです。

また、もちろんではありますが、「新潟の食材」にも思いっきり力を入れ、
お客様に愛していただける店になれるようがんばります。
よろしくおねがいしますm(__)m

というのが、新潟ふるまち志津川水産一家部ができた経緯であり、コンセプトです。
読んでいただきありがとうございましたm(__)m