まずは、明友館に7時着
相変わらず、ここのみなさんは、元気でした(●^o^●)
千葉さんの紹介で、竹石の兄貴が持ってきた2トンの水を湊小学校へ
この日は、密着取材とかで、千葉さんにフジテレビが付きっきりでした。
その後は、すぐ、
塚野さんのブログより抜粋
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石巻で自ら被災し避難所で生活しながら、他の市町村の避難所を助けるつわもの達がいます。
「千葉リーダー」率いる「明友館」のスタッフです
立派な仮設住宅も立ち始めた南三陸町。
その南三陸町の知人から先週連絡がありました。
「6月30日に自衛隊が帰ってしまうので避難所のお風呂が無くなってしまうのです。」
「仮設住宅が被災者にいきわたる予定の8月中旬まで、避難所の人たちはお風呂が無くなってしまう。」「どこかにお風呂のリースはできませんか。」????その状況をわたしは理解できませんでした。
なぜまだ必要としているものを撤収するのか?
瓦礫の撤去や海岸清掃などの作業であれば、地元の雇用も考えれば撤退もわからんでもないですが、なぜお風呂を残してあげれないのか??
自衛隊の何人かが残ればよいのではとか、お風呂の設備だけでも残して町にに管理させれば良いのではと思いましたが・・・・結果は30日撤収。
意味がわからん。
誰がこれを決めているのでしょうか?
現場を見ているのでしょうか?
現場の人たちは状況を国に報告をしないのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まぁ。そんなことを言ったからお風呂は空から降ってきませんからここは困ったときの「明友館」。
このことを相談したところ、送電線建設協会さんを紹介していただきました。
送電線協会さんは移動式の入浴施設をお持ちで各避難所に入浴サービスの提供をされてきたそうです。
東北担当の中野さんに連絡して即決!7月3日にお貸しいただけることになりしかも設置していただけるとの事。やはりじっとしていないで動くべきですね。<送電線建設協会=お風呂の神様降臨>神様のような人はどこかにいるのです。
と、
いうことで、そのお手伝いを
こちらの避難所では50~60人ほどの方が生活されています。
脱衣所もついて、家族みんなで入れるほどの、大きく、立派なお風呂がついて、
みなさん大喜びでした(●^o^●)
僕たちもみなさんの笑顔がすごく嬉しい!
ちょうど、お昼時だったのでお姉さまたちがご飯の支度をされていました。
ここまで、復旧できたんですね(●^o^●)
最後はみんなで記念撮影
その後、塚野さんにご紹介いただいた
「季節料理 志のや」のおさむさんのお店へ
わけあってお邪魔しました。
修さんは「志のや」のご主人でもあり
南三陸町飲食店組合の会長さんでもあり、
南三陸復興ダコの会の会長も務めていらっしゃるすごい人なのです
復興ダコというのは
これです!!
一家のカウンターにも置いてます(●^o^●)
なぜここにお邪魔したのかというと、まだ全貌は明かせませんが、
南三陸の復興のために、ぼくたちの飲食というフィールドから
もっと何かできないかと考え、「復興メニュー」というものを開発しようということになり、
今日はその試食と相談です。
食材は、もちろん「志津川のたこ」!!
この商品が売れていくことで、同時に「志津川のたこ」がたくさん売れ、
地場産業の活性化になればと考えたのです。
やわらかく、ジューシー。そしてしっかりと味のあるタコらしいタコです!!
ここ志津川は
西の明石 東の志津川と言われるほどのタコの名産地なのです!!
ちなみに一家の看板もタコ!
そんなこんなで、こういうことになりました(●^o^●)
新潟メンバーで案を出し合い仕込んできたものを厨房をお借りして調理
いつになく真剣です
出来上がったものが、これです!!
この謎の食べ物は、7月24日(日)の南三陸復興市
そして、7月29日、30日の新潟駅南広場のお祭りにて販売いたします。
みんなで試食
そしてこれとは別に、修さんがお昼ご飯をごちそうしてくれました(●^o^●)
タコ飯とカレイの煮つけ
タラ汁
旨かったッス!!
ごちそうさまでした(●^o^●)
その後、シモンくんと合流して歌津の漁師さんのところへ
移動中
分かりにくいですが、これでもかなり片付いていたという印象を受けました
そして、
こんな状況になっても感謝の気持ちを忘れない、その強いハートに感動です。
なんともストレートな………
シモンくんの持ってきた物資を
ここ部落では一部の避難時所とは違い、各自自分の好きなものを選んで持っていっても争いも起きず、妬みなんかもありません。
むしろ、「あんたんとこは、これがいるから持っていけば!!」と、人のものまで選んであげて、ちゃんと分け合ってるのが
なんだか、すごく温かい気持ちになれました(●^o^●)
自分の家が流されていくのを、ここから見ていたそうです。
今立っているこの場所のほんの1メートル下まで水が迫ってきたそうです。
ぼくたちには、想像もできない状況を乗り切って今を一生懸命生きていらっしゃいます。
そして、我が家のリビングです。
と、お茶をごちそうになりました。
シモンくんが持ってきた「ハエ取り紙」
懐かしいこれが、こちらでは大活躍します。
こんな状況でも、ここの人たちも明るく上を向いて生きていらっしゃいました。
この津波で、あまりにも理不尽に家族の、親戚の、恋人の命を奪われ、
気持の整理がつかない方もたくさんいらっしゃると思います。
当然です
今、ふつうに日常が送れているぼくたちが、掛けてあげられる言葉など見当たりませんが
心からお見舞い申し上げます。
まだまだホッとしてなんかいられない状況なのは、たくさん見てきて分かってはいるつもりですが、
こんな小さな守られた命もあります。
何も知らず、こんなにも無邪気に笑うこの子たちの未来のために、まだまだやり続けたいと思います。
僕たちの力など小さいですが、やがてそれが大きなものに変わっていくことを信じて。
梅雨の終わりを告げる入道雲で本格的な夏になり、また新しい問題が山積みになると思います。
現地に必要なものは、分かっているつもりです。。
引き続きご協力のほどよろしくお願いいたしますm(__)m
長い文章、最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m